教科書の法定展示期間が始まりました。中学校社会科教科書を比較してみましたが、自由社・育鵬社の右派2社については記述の異様さが際だっていました。この2社だけは決して採択させてはなりません。

おかしな記述はたくさんあるのですが、とりあえずいくつかに絞ってみてみることにします。

1.日露戦争の記述(歴史的分野)


朝鮮半島などをめぐる日本とロシアとの勢力争いが原因となった日露戦争の記述については、育鵬社版歴史教科書では戦争の背景には触れず、また自由社版歴史教科書ではロシアの軍事的脅威を強調して日本はやむなく戦争を決意したような記述となっています。また、戦争での戦術を詳しく記述して美化するような記述をおこなっていることも両者に共通する特徴です。
また多くの教科書では日露戦争の記述とセットで、与謝野晶子の『君死にたまふことなかれ』の一節を資料として引用しています。しかし右派教科書については、2社とも日露戦争の項目には『君死にたまふことなかれ』の引用はなかったのも印象的です。

一方で育鵬社版では、別ページのコラムで与謝野晶子の特集をおこなっていました。与謝野晶子の記述については一般的な解釈とは異なるかなり独特なものとなっていました。

2.大日本帝国憲法(歴史的分野)



大日本帝国憲法の記述についても、天皇の統治については通常は立憲君主制に基づいて行動し、自分で決断したのは2.26事件の鎮圧や終戦受け入れなど非常時だけかのような記述をおこなっています。これも他社と比較して異色の記述となっています。

3.太平洋戦争(歴史的分野)


太平洋戦争については本文や見出しで「大東亜戦争(太平洋戦争)」の記述となっています。他社では「太平洋戦争」あるいは「太平洋戦争(アジア太平洋戦争)」の記述となり、「大東亜戦争」の表現はあくまでも「当時はそう呼ばれた」という文脈での注釈だったことと対照的です。

4.沖縄戦の集団自決(歴史的分野)


沖縄戦の集団自決については、当ブログでも以前に紹介したとおり、「米軍の猛攻で逃げ場を失い、集団自決する人もいました。」(育鵬社版)、「米軍が上陸する中で追いつめられた住民が、家族ぐるみで集団自決する悲劇」(自由社版)と、米軍が悪いかのようなとんでもない記述となっています。

両社教科書とも「愛国心」「伝統」などを強調していますが、沖縄の人にとってみれば先祖一族や地域の先人を侮辱されていることになってしまいます。彼らの主張する「愛国心」「伝統」など、しょせん現行の国家体制への盲従に過ぎない、ご都合主義的なものでしかありません。

5.日本国憲法の制定過程(歴史的分野)


日本国憲法の制定過程については、2社ともいわゆる「押しつけ憲法」論に立脚していることがあからさまな記述となっています。この点でも他社教科書の記述とは著しく異なる異様なものです。

自由社版に至っては見開き2ページで「占領下の検閲と東京裁判」なるコラムを特設し、戦後の占領体制と東京裁判を敵視して戦争を正当化する記述をおこなっています。小見出しだけでも「占領期は戦争の継続」「戦争についての罪悪感を植え付ける」「勝者の裁き」という代物です。またこのコラムでは日本国憲法の制定について、押しつけ憲法論を前提に「占領期間中にその国の憲法まで変えることは行きすぎで、戦時国際法で禁止されていました」とまで断罪しています。

6.大仙古墳(歴史的分野)


一般的には「仁徳天皇陵」の名称で知られる、大阪府堺市の大仙古墳。この古墳については他社でも記述の有無が分かれていますが、育鵬社版では記述され、一方で自由社版では記述がありませんでした。

そういえば産経新聞は前に、教科書で「仁徳天皇陵」の名称を「大仙古墳」に言い換えたり「大仙古墳(仁徳天皇陵)」と括弧書きにするのはおかしいとする、歴史教育に少しでも知識があれば失笑ネタとしか思えない記事を出してくれたことがあります。フジサンケイグループ、すなわち産経新聞系列の育鵬社の教科書ではさすがに「大仙古墳」表記で、必要に応じて括弧書きで「大仙古墳(仁徳天皇陵)」を併記していました。

「仁徳天皇陵」表記一本に絞るようなことはさすがの右派教科書でもできなかったかと笑いましたが、よく見ると説明が妙。
 この大仙古墳は仁徳天皇陵とも呼ばれており、8世紀に編纂された『古事記』『日本書紀』には、仁徳天皇が善政をおこなったため民から慕われ、工事に当たっては老いも若きも力を合わせ、完成に向かって昼夜を問わず力を尽くした、と伝えられています。(育鵬社歴史 29ページ)


一方で、肝心の「考古学的には被葬者に疑問が持たれている」という記述はなし。伝承を書くなら考古学的な到達点とセットで書かなければ、歴史教科書としては無意味記述になってしまいます。これでは伝承があたかも事実かのようにもとれる記述になっています。

7.国民主権(公民的分野)


公民的分野での日本国憲法の記述に関しては、両社とも天皇に関する記述量が異様に多いのが目立ちます。国民主権の記述が数行程度の表現にとどめられている一方、天皇の役割などについての記述に何ページも費やしています。他社では象徴天皇制については数行程度で簡潔に触れられているのと比較して、異様な印象を受けました。

8.家族やジェンダーに関する記述(公民的分野)


家族やジェンダーに関しても、2社とも奇妙な記述をおこなっていました。育鵬社公民教科書では「個性尊重が叫ばれる中、男女の違いというものを否定的にとらえることなく、男らしさ・女らしさを大切にしながらそれぞれの個性をみがきあげていくことが必要です。(54ページ)」「夫婦同姓制度も家族の一体感を保つ働きをしていると考えられています(54ページ)」という記述がありました。

自由社版公民教科書では、男女共同参画社会の記述について、「近年では脳科学の研究が進み、脳の構造や働きの一部に男女の違いがあることがわかってきました(26ページ)」と恣意的に取り上げて自説を正当化しようとする記述もみられました。

確かに脳科学の観点からは、脳の働きに性差がある可能性については指摘されています。しかし専門家は「生物学的要因による構造的なものなのか、それとも社会や文化などの後天的な影響によるものなのか判然としない部分が多い」として、結論については慎重な態度を取っています。それは言い換えれば、専門家は、研究成果を俗物的に曲解してジェンダーフリー否定などの根拠に悪用する者――まさにこの教科書の著者のような者――が現れることを望んでいないということです。




育鵬社・自由社の2社教科書をざっとながめてみただけでも、前述のように奇妙な記述が多数見つかりました。

専門家によると、おかしな記述はもっと多数あるということです。このような教科書は学校での使用に耐えられないものであり、決して採用させてはならないという思いです。
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