滋賀県大津市立皇子山中学校のいじめ自殺に関連して、『しんぶん赤旗』がいじめ問題に詳しい教育研究者へのインタビューを掲載している。

 2012年7月29日付には、いじめ問題や生活指導を専門とする教育研究者の折出健二愛知教育大学副学長(教育方法学)が登場している。

 折出氏は、いじめ問題が社会的に注目されるきっかけとなった愛知県西尾市立中学校いじめ自殺事件(1994年発生)の調査に関わった経験を引き合いに出し、今回の大津の事件も20年近く前の愛知県の事件と基本的な構図は変わっていないと指摘している。

 教師や家族が聞いても当事者たちは「遊びだ」「ふざけただけ」といって、本当のことを言わない。とりわけいじめられている本人が本当のことを言えない状態に置かれて自殺にいたるまで追い詰められてしまう。「助けて」と言いだせないんですね。この20年ほどの間にネットいじめなどの新しい現象も起こっていますが、基本的には同じ問題です。
(しんぶん赤旗2012年7月29日付)


 1994年10月-96年前後、2006年10月-07年前後、そして現在2012年7月以降と、この20年弱で3度ほど、いじめが大きな社会問題化している。ネットいじめなど新しい手口も生まれているものの、いじめの基本的な構図は20年間で変わっていない、言い換えると社会の他の分野は変化しても教育分野で20年前に指摘された課題は今でも根本的な解決には遠くそのまま維持されてきたのだなと、私自身も感じている。

 また折出氏は「いじめ事件に共通するのは、被害者も加害者も事実を隠そうとするということ」と指摘している。それではいじめはどのように見つけていけばいいのか、「周りの生徒も含めて、尋問調ではなく、表現の内側を聴き取ることが必要」と指摘している。

 加害者への対応については、罰を与えるという発想では潜在化・陰湿化する、そうではなく被害者の処罰感情を受け止めつつ加害者を「育てる」立場で接するとしている。

 もちろんこれは、俗に「人権屋」と揶揄されるような、「加害者はどんな悪事をしても許されなければならないし問題点を指摘してもいけない。被害者の受けた被害のことはどうでもいいが、少しでも加害者に不利益な指摘・加害者にとって気に入らない指摘をすることは重大な人権侵害。加害者を守るためには被害者を攻撃しても意に介さない」という一部の誤った「人権思想」とは全く異なるものである。

 加害者に加害を繰り返させないことは、被害者を守ることにもつながるという主張である。これには同意である。加害行為を黙認したり擁護したりすることで、加害行為が正当だと間違った学習をして訂正の機会がなかった加害者が「モンスター」と化し、いじめをエスカレートさせて被害者をより追い詰めたり、行く先々で新たな被害者を生み出しては、社会的にも大きな損失である。加害者に問題点を自覚させて二度と加害行為を繰り返させない様に指導することは、極めて重要である。

 さらに、子どもたちや教職員・学校を取り巻く社会的な状況も指摘し、学校現場を変えていく必要も指摘している。
 競争にさらされ自分をさらけ出すことが困難になっていることへのいらだちが、いじめを誘発する要因となっているとしたうえで、それに対して学校側が上から権力的に規制してもいじめはなくならないと指摘している。 また教員自身も「成果」を求められ評価される教育行政の中で、いじめ解決も困難になっているとして、子どもとの関係性を作り出す余裕が必要と指摘している。

 確かに、教師自身が数値での「成果」や競争などで分断され、職場いじめやパワハラなどもある状態では、生徒へのいじめ指導にまで手が回らないのも必然であろう。学校現場に余裕をもたせ、一面的な数値のみでの「評価」のあり方を改め、子どもの現実に寄り添って教育活動ができるような学校環境づくりは、必要ではないだろうか。
このエントリーをはてなブックマークに追加 編集