産経新聞2012年9月9日付が、『ごみ散らかす女子高生らにナイフ…釈放後も公園掃除を続ける男の胸の内』とする記事を掲載している。

東京都西東京市で2012年8月、公園にいた女子高校生にナイフを見せて脅したとして、60歳の男が警視庁田無署に逮捕された事件。その後釈放された容疑者や近隣住民に対し、産経新聞が取材をおこなった記事となっている。

容疑者は普段から事件現場となった公園で清掃活動をおこなっていたという。公園にいた被害者がゴミを散らかしたとして、公園は閑静な住宅街にあるが、夜中になれば不審者が出るかもしれないし、危険だ。本来なら、親や学校が注意すべきだが、言わないのだろう。私がしっかり注意しなければ、と思ったとしてナイフを出した。また容疑者が持病を抱えていたことも紹介し、容疑者の行為を肯定的に描いている。

いかにも産経新聞らしい記事である。これまでも産経新聞は、子どもが被害者になる事件だと、加害者が動機を「教育・しつけ」目的と主張すれば加害者の側に立ち、子どもへの暴力や不当な扱いを正当化するような記事を出す行為を繰り返してきた。

京都府舞鶴市立小学校で2007年、いじめがあったとして「みんなをたたいて教師をやめる」と宣言して「体罰」を加え辞表を出した教師が、保護者からの嘆願署名で撤回した問題があった。産経新聞はこの問題を「美談」扱いして報じた。

神奈川県立神田高校で、校長の独断で、入試の選考基準にはない「願書提出時の服装チェック」を数年間にわたり勝手に実施し、「服装が乱れている」と判断した受験生は入試成績にかかわりなく不合格にしていた問題が2008年に発覚した。この問題でも産経新聞は、もともとの問題である「入試の選考基準にはない裏基準を後付けで勝手に作った入試運営上の不正行為」ということは無視し、「服装が乱れているから指導は当然」と問題の本質を無視した俗物的で瑣末な内容にすり替えて学校側を擁護する記事を出した。

今回の問題も、その延長線上にある記事だと感じる。

大人としてしっかりと注意したければと本当に思っているのなら、ナイフを出す必要性も必然性もありえない。勘違いした「大人」にありがちな、自分より「弱い」「格下」と判断した人間には卑劣な行為を加えても意に介さないしむしろ「教育的指導」かのように居直る、というパターンである。

例えば、「産経、変な記事書くな。教育的指導」と称して産経新聞社に押し入った者がいたと仮定してみる。しかし仮にこんな事件が起きても、犯人はテロリスト・暴漢としか扱われないことは目に見えている。今回の事件の容疑者のしていることは、この例え話と似たようなことなのである。被害者が子どもだからといって犯罪を正当化するようなことは、絶対に許されない。

東京都だけでなく、福岡市でも9月、団地敷地内で遊んでいた児童に対し、いじめと誤認したとして「いじめをやめろ」などとナイフで脅したとして、住人の高齢男性が逮捕される事件があった。子どもを軽視する風潮や、教育・しつけ目的だと強弁すれば何をしても許されるというような「体罰」・虐待加害者のような主張が、多かれ少なかれ世間に浸透しているというのは、早く是正していかなければならない。

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