政府の教育再生会議は、公立学校教員の給与を査定によって最大20%の増減をおこなうことができるようにしたり、公立学校の統廃合や学校選択制の拡大、学校間で予算配分に差をつけるなどの提言を出す方針を固めました。
教員給与、査定で20%増減 再生会議提言へ〔『asahi.com』2007/4/8〕


 これでは「教育再生」どころか「教育破壊」につながってしまいます。
 教育活動の成果についてはひとつの基準で測れるものでもありませんし、また特定の教員個人の成果として明確に測れるものでもありません。
 測ろうとすれば数値だけで測ることが横行してしまいます。いじめ問題について、実際にはいじめが横行しているにもかかわらず、数値目標を過剰に追うあまりに統計数字をいじっていじめを隠す傾向がでたという問題は、記憶に新しいところです。成果を測ると称して、教育のあらゆる分野で数値目標を過剰に追うことになれば、教師自身はもとより、子どもにしわ寄せがいって教育条件が悪くなることが目に見えています。
 また教員の給与に差をつけることは、どうしても主観的・恣意的なものにならざるを得なくなります。教職員同士の足の引っ張り合いや職場いじめなどが横行することも危惧され、結果的にそのしわ寄せは教育環境の荒廃につながります。
 学校統廃合については地域の状況を総合的に勘案して決められるべきで、上から押しつけられるようなものではありません。学校選択制についても「居住地と学校の位置との地理的関係で、校区に指定されている学校よりも隣の校区の学校の方が近い」「いじめなどの特別な状況がある」などについてはありえますが、学校間競争を前提とした学校選択制は公教育の責任を放棄するものにつながります。
 だいたい、公教育ではどの学校でも等しく学習条件が保障されるべきものです。児童・生徒・教職員の個性や地域の特色に基づいた学校の特徴は当然出ますが、それでもどの学校に対しても学習条件を平等に保障するのが公教育の使命であり、学校間を競争させたり特定の学校のみ手厚く扱うなどは公教育にはなじみません。
 教育再生会議の議論は、教育の現実から離れたところでおこなわれているものだと批判しなければなりません。
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